昭和の時代を席巻した恐怖の都市伝説「口裂け女」。
「私、きれい?」という問いかけとともに、マスクの下から耳元まで裂けた口を見せるという恐ろしい話が、当時の子どもたちを震撼させました。
インターネットが存在しなかった時代に、全国へと拡散した日本最初の都市伝説として、今なお多くの人々の心に残っています。
この記事では、昭和の子どもたちを恐怖させた口裂け女の実態と、なぜこの伝説が社会問題へと発展したのかを解き明かします。
口裂け女とは?

口裂け女伝説とは、口元を大きなマスクで覆った若い女性が、登下校の子どもに対して「私、きれい?」と語りかけてくるという都市伝説です。
「きれい」と答えると「……これでも……?」という言葉とともにマスクを外します。
その瞬間、耳元まで大きく裂けた口が露になるという怖ろしい展開になっていました。
「きれいじゃない」と答えた場合は包丁やはさみで切り裂かれる、または「きれい」と答えた場合も同じく口を切られてしまうという、どちらに答えても危害を加えられるという設定が特徴的でした。
この都市伝説は1979年の春から夏にかけて、日本全国で大流行した歴史を持ちます。
単なる怪談ではなく、全国の小学生や中学生に非常な恐怖を与え、パトカーの出動騒ぎや集団下校といった社会問題にまで発展した現象だったのです。
当時のメディアでも大きく取り上げられ、全国規模の騒動へと膨れ上がりました。
口裂け女が生まれた背景
1978年12月初め、岐阜県で最初の噂が発生したとされます。
岐阜日日新聞が1979年1月26日に初めて報道したことで、この伝説は地元メディアの目に留まるようになりました。
翌1979年6月29日には『週刊朝日』でも記事として掲載され、全国紙への登場により急速に全国へ広がっていったのです。
口伝えによる拡散力が驚くほど強く、インターネットが存在しない時代にもかかわらず、青森県から鹿児島県まで全国隅々に広がった現象となりました。
生まれた背景には複数の説が存在します。
最も有力なのは、教育熱心で夜間の外出を懸念する母親たちが、子どもたちに夜遅い帰宅を避けさせるため意図的に作った脅しの話だという説です。
当時の岐阜県では、比較的裕福な家庭の子どもだけが学習塾に通っていた社会背景がありました。
資金力の乏しい家庭の子どもが塾通いを諦めさせられるために使われた脅し文句だったともいわれています。
また別の説では、精神疾患を持つ女性の目撃情報が実在していたこと、あるいは美容整形の失敗により顔に傷跡を負った女性が地元で話題になっていたことが、やがて怪異の話へと変容したという考え方もあります。
時間とともに各地で異なるバリエーションが生まれ、恐怖の要素が加わっていったのでした。
口裂け女の苦手なもの

当時の子どもたちの間では、口裂け女と遭遇した際の対処法が数多く語られていました。
最も有名な対抗手段は「ポマード」という言葉を唱えるというものです。
ポマードが苦手という理由については、口裂け女が口元の傷を負わされた際の手術を担当した医師がポマードをつけていたという設定が一般的でした。
その医師を連想させるポマードの香りや存在が、口裂け女に与えるダメージになると考えられていたのです。
別の対処法として「べっこう飴」を持ち歩くという方法も存在していました。
べっこう飴を食べると歯がくっついてしまい、その歯がくっついた状態が口裂け女に恐怖を与えるという論理付けでした。
その他の対処法では「ニンニク」と唱える方法も伝わっていました。
また東アジアの伝承に基づいて、角を曲がることができない、あるいは階段を上ることができないという弱点設定も生まれました。
こうした対処法や弱点設定は、地域ごとに異なるバリエーションを持ちながら、口伝えで伝播していったのです。
口裂け女伝説の収束
激しく社会を揺らがせた口裂け女の伝説は、やがて社会的関心の低下とともに表舞台から消えていきました。
ただ完全に消滅したわけではなく、インターネット時代の到来により、新たな形での拡散へと転換していったのです。
2000年以降、口裂け女の話は海外のネット環境へも伝わるようになりました。
特に2004年には韓国で大流行し、その過程で物語に変化が加えられていきました。
韓国版では、女のマスクの色が赤に変わるなど、その地域の文化に合わせた改変が施されたのです。
さらに角が曲がれないという東アジアの伝承が取り入れられたり、スキンヘッドでマスクをした男友達が登場するというバリエーションも生まれました。
時代が進むにつれて、かつての凶悪な都市伝説は怖い話や歴史としての位置づけへと変わっていきました。
テレビアニメでは法的な配慮から口裂け女の放映が中止されるなど、社会的な成熟とともに扱いが慎重になっていったのです。
令和の現在では、昭和の懐かしい都市伝説として語り継がれ、当時を知る世代の回顧の対象となっています。
純粋な恐怖というよりも、歴史的な関心や文化的な側面から注目を集めるようになったのでした。

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